井伊大老が暗殺された万延元年(1860)の10月、一人の英国人が日本の土を踏みました。
ロンドン園芸協会付属の庭園で働いていたロバート・フォーチュンの訪日の目的のひとつは、なんと、すでにイギリスの在来品種となっていたアオキ:青木(ミズキ科アオキ属)の雌木のために、雄木を手に入れることでした。
1760年ごろ日本から移入されたアオキは、当時イギリス人が所有する常緑灌木としては、最も耐寒性が高くて、ロンドン特有のスモッグにも強く、有用な外来種であったものの、ヨーロッパのアオキはみな雌木ばかりで、あの深紅色の漿果を見ることができなかったのです。
フォーチュンは首尾よく雄木を手に入れ無事イギリスに送り届けます。
「イギリスの冬から春を通して、深紅色の実をいっぱい付けたこの植物が、われわれの家の窓や庭を飾る情景を想像されたい。そのような結果の現れは、私がイギリスからはるばる日本に旅行しただけの価値があると思う」と誇らしげに書いています。(ロバート・フォーチュン“幕末日本探訪記”講談社学術文庫より)
30年以上もの昔、日本人の間でパリの吉兆の名がある高級レストランへ行ったとき、店の前や中庭にアオキが大事そうに植えられていました。こんな木の何が有り難いのかと不思議に思ったのですが、雌木を求めて来日したという話を聞くと、冬にも緑を保ち、真っ赤な実をつけるアオキは、向こうの人にとっては大変珍しく貴重なものであるようです。
ロンドン園芸協会付属の庭園で働いていたロバート・フォーチュンの訪日の目的のひとつは、なんと、すでにイギリスの在来品種となっていたアオキ:青木(ミズキ科アオキ属)の雌木のために、雄木を手に入れることでした。
1760年ごろ日本から移入されたアオキは、当時イギリス人が所有する常緑灌木としては、最も耐寒性が高くて、ロンドン特有のスモッグにも強く、有用な外来種であったものの、ヨーロッパのアオキはみな雌木ばかりで、あの深紅色の漿果を見ることができなかったのです。
フォーチュンは首尾よく雄木を手に入れ無事イギリスに送り届けます。
「イギリスの冬から春を通して、深紅色の実をいっぱい付けたこの植物が、われわれの家の窓や庭を飾る情景を想像されたい。そのような結果の現れは、私がイギリスからはるばる日本に旅行しただけの価値があると思う」と誇らしげに書いています。(ロバート・フォーチュン“幕末日本探訪記”講談社学術文庫より)
30年以上もの昔、日本人の間でパリの吉兆の名がある高級レストランへ行ったとき、店の前や中庭にアオキが大事そうに植えられていました。こんな木の何が有り難いのかと不思議に思ったのですが、雌木を求めて来日したという話を聞くと、冬にも緑を保ち、真っ赤な実をつけるアオキは、向こうの人にとっては大変珍しく貴重なものであるようです。