神武天皇東征のおり、熊野から吉野に近い宇陀に到ります。
陣を張った“莵田の高城“(むかごの高槻11年12月22日記事)で歌われたという久米歌の一節に”…後妻が菜を乞わば、いちさかき實の大けくを こきだひゑね…“とあり、この”いちさかき”は)今のヒサカキ:ツバキ科ヒサカキ属)であるとされています。
歌は、古い妻が食べ物を乞うたらそばのき(今のカナメモチ)の實のように少しだけ削ってやれ、新しい妻が食べ物を乞うたらヒサカキの實のようにたくさん削ってやれ、と続くのですが、カナメモチの實も結構たくさんつくので、この例えの意味はよく分からないところですが、カナメモチの實には種子4個入るのに対しヒサカキの實には多数の種子が入ることをいっているのかもしれません。
本州の北端を除くいたるところの山地で見られるツバキ科ヒサカキ属のこの木の名は、榊より小さい葉なので“姫榊”がなまったものとか、榊でないので“非榊”から来ているなどの説があるともに、ヒサキ、ビシャ、ビシャギなど地方によって60種ともいわれるさまざまな呼び名があることでも知られています。関西ではビシャコとよばれることが多いようです。
関西以西では主に仏花となりますが、サカキの自生が少ない関東地方以北では神様にも供えられるといいます。